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東京高等裁判所 昭和57年(ラ)193号 決定

抗告人 甲野一郎

右代理人弁護士 藤井暹

同 水沼宏

相手方 小板橋二郎

同 小林俊次

同 株式会社サンマーク出版

右代表者代表取締役 小林俊次

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

一  抗告の趣旨及び理由は別紙記載のとおりである。

二  本件抗告の理由の要旨は、相手方小板橋二郎を著者、同小林俊次を発行人、同株式会社サンマーク出版を発行所として昭和五六年六月一日発刊した書籍「医原病」中の、抗告人が医師として関与した医療事故について、関係者を実名で記述した部分(以下、本件記事という。)の内容は虚偽であり、また、相手方らは右虚偽であることの認識があったとはいえないが、少くともその点を全く意に介さないで虚偽の事実をおもしろおかしく書いて発刊し、抗告人の名誉・信用を毀損するものであるから、本件仮処分申請をいずれも却下した原決定を取り消し、別紙抗告の趣旨2項及び3項記載のとおりの裁判を求める、というものである。

三  人格を有する者について、その名誉・プライバシー等の人格的利益ないし人格権の違法な侵害に対しては、現行一般私法では、金銭賠償(民法七〇九条・七一〇条)及びいわゆる名誉回復処分(同法七二三条)の事後的救済制度が明文化されているところであるが、その性質上、またマス・メディアが著しく発達した現在においては、いったん侵害されたら事後的には容易に回復し得ない人格的利益ないし人格権等については、それに基づいてその妨害の予防ないし排除を求め得る請求権が認められる場合があるというべきである。しかしながら、人格的利益ないし人格権が、出版物によって侵害されたことを理由として、その出版行為の停止・排除を求める差止請求権を認めるには極めて慎重でなければならない。けだし、マス・メディアの発達した現代において、印刷・出版の自由は表現の自由の基幹をなすものであり、民主主義社会においては、その自由を安易に制限することは許されないからである。

四  そこで、抗告人に本件記事の頒布・販売を禁止する差止請求権が認められるか否かについて検討する。

本件において提出された疎明資料により当裁判所が認定した事実及び当裁判所の判断は、原決定八丁裏二行目の「ことといえる。」の次に「右のように前者及び後者いずれの点についても、相手方小板橋二郎が抗告人からその取材を断られたこともあって、本件記事の取材源は、前記「医療被告と闘う医師・弁護士の会」に属する医師ら、申請外乙山太郎及び申請外大矢医師の説明をもとにした告訴状等であるため、本件記事が右告訴状と内容的に一致した点が多いのは当然であって、そのことをもって、本件記事の内容が虚偽であるとか、相手方小板橋二郎がその虚偽であることを全く意に介さないで虚偽の事実をおもしろおかしく書いた、と断ずることはできない。さらに、本件記事中には、抗告人自身が記載した「診療録」中の「経過」の大部分が、そのまま引用掲載してあるので、本件記事の読者は抗告人の判断を通した事実経過等を十分に知ることができるのであって、このことは、著者である相手方小板橋二郎が本件記事の内容が虚偽でないと認識している一つの証左でもあり、また、その執筆態度が真面目なものであることを窺わせるに足るものである。」を加えるほか、原決定三丁目表七行目冒頭から同八丁裏六行目末尾までと同一であるから、これを引用する。

五  以上に説示したところによると、書籍「医原病」中の花子の医療事故に関する本件記事の内容の主要部分が虚偽であるとか、相手方らにそれが虚偽の事実であることを全く意に介しないで、ことさらこれをおもしろおかしく記述したものとはいえない。また、そうであるとすれば、本件記事を含む前記書籍が頒布・販売されることによって、抗告人の名誉・信用・医師としての社会的生命が不当に、明白かつ急迫に侵害されるとは、たやすく断ずることはできない。

してみれば、本件においては、抗告人の求める頒布・販売等の差止請求を認容しうる高度の違法性を認めるに足る疎明がないため、本件仮処分申請はいずれも被保全権利について疎明がないことに帰し、しかも本件事案の性質・内容などに照らし保証をもって疎明に代えることは相当でないから、右申請はその余の点につき判断するまでもなく失当たるを免れない。

六  よって、右申請をいずれも却下した原決定は結局相当であって、本件抗告は理由がないからこれを棄却し、抗告費用は抗告人に負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 岡垣學 裁判官 磯部喬 松岡靖光)

〈以下省略〉

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